描いてる途中でしょうが

描いたやつの写真と、描きながら、描いたあと、考えたこと

波網無彩

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グリンと、ひとつ描いて、それに覆い被さるように次のグリンを描く。
横に一列グリンの連なりを描く。左から右へ描く。行の終わりに明確な基準はなく、気が向いたところで終わる。
終わるとその行の上に次の行を新しく描いていく、グリン、グリン、グリン、つって。
何行も上にかぶさっていく。
均一な、同じぐらいの大きさのグリンが続いてもいいし、大きさがどんどん大きくなっても、小さくなってもいい。なんでもいい。
ただ、隣のグリンとの関係性は崩したくない。
当該グリンを描く場合、それに接する既存のグリンがあってこその向き、角度、長さであってほしい。
既存のグリンによって、次のグリンが描きやすかったりそうでなかったりする。
小さすぎたり、大きすぎたり、込み入っていたり、大きく広がりすぎていたりすると、描きにくい。
もう、描きにくいなあ、つって、腹が立つ。

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しかし、考えてみると、この紙面にあるグリンは一つ残らず過去の自分が描いたものであり、怒りをぶつける先はなく、過去の自分を恨みつつ、未来の自分には同じ思いをさせてはいけないと、できる限り次のグリンが描きやすいようなグリンを目指す。
ゴール前でパスをつなぐ感じで、へい、後は任せた、頼んだぞ、つって。
と、一方で、描きやすければいいかというと、そんなことはない。
ぎゅうぎゅうに込み入った部分は、至極描きにくいけれど、描き終えて、ふと一息ついて遠目に眺めると、それはそれで味わい深く、絵に奥行きが出て、何となく何かしらの意思が、作者の意図がありそうな、クリエイターのクリエイター根性が詰まってそうな、ま、実際のところ、そんなものは全然無いんだけれど、ありそうと言えばありそうな感じが少しして、悪くない。
うん。悪くなーい。
ところで、グリンって何だ。
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ピーン

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けっこー用心深く、気を張って生きているつもりなんだけど、うっかりミスることは、どうしてもある。
そんなことが続くと、心配事は無いはずなのに、無いと思ってても実はあるのが人生、なんつって、何も無いにも関わらず心が乱れ、息苦しくなる。
改めて、よく考えてみる。
なんで、おれあ、落ち込んでいるのか。
確かにあの案件は気が重い。しかし、来週の月曜の打合せまでどんなに心をすり減らしても意味はなく、この土日はヘラヘラしてていいはずだ。よし、努めてヘラヘラしていよう。
ヘラヘラ。あれ。まだ、心が重い。そう、確かに、家のローンを払いきれる気がしない。絶対無理だ。どうしよう。いや、まて。ちょまてよ。悩んでも返済残額は減らない。この土日、大いに休息し、月曜からの仕事に精を出すことが、ローン返済への第一歩ではないのか、ああ?自分。よし、休息しよう。
けどな、あれも心配。どうせまた予期せぬ事態で悪化するんだ。嫌だなあ。
これも心配。ダメに決まってる。ああ、心配心配。
と、常に根拠のない漠然とした不安にさいなまれる。

では、どうすればいいか。
選択肢は二つだ。

ひとつは、とっとと酒を飲んで、脳を麻痺させ、不安とか気になるとかそういう脳の活動を強制的に停滞させる。
この方法は、効果覿面で、不安どころか気分はアゲアゲになり、おれに成し得ないプロジェクトなどこの世にあるわけがない、いいから黙っておれに付いて来い、つって大股で走り出したくなり、ま、実際は走らないのだけれども、ちょっとステップ踏むぐらいのことはして、もう、万能感に包まれる。そんで、カラオケ行ったりする。
が、注意が必要で、翌朝、つうか昼過ぎ、目が覚めると状況は1ミリも変わっておらず、忘れてた不安感はそのまま戻る。つうか吐き気や頭痛が加わって状況としては後退している。

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そして、もうひとつの選択肢は、その不安感に向き合うという方法だ。
これは、もう、あれだ。意識高い系だ。
不安の原因を要素ごとに分解し、考え得る限りの施策を列挙し、難易度や効果等の観点をベースに優先順位を設定し、いつまでにそれに着手し完了させるかをスケジューリングする。自分でできないこと、自分でなくてもできることを見極め、然るべき協力者に対応を依頼する。
なんつって、考えはじめて、心から思う。うへぇ、めんどくせえ。って。まず、飲もう。それからまた考えよう。って。

で、気がつく。ピーンって。
次にとるべき行動は、ひとつだった。酒飲む、一択だった。
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ガールズ

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美人と不美人の違いについて、これまで多くの人が朝まで語り合ってきた。
新聞配達のバイクの走行音が聞こえて、鳥の声なんかも、チュン、チュンチュン、なんつって聞こえて、朝になって、で、美人と不美人の違いについて何らかの結論に至ったかと言うと、ほとんどの場合、至っていない。
至るどころか意見の食い違いは飲み始めた頃よりも広がり、やれ誰某はポッチャリだ、いやデブだ、とか叫んで取っ組み合う。
美人の第一条件は顔じゃない、精神だ。立ち振る舞いだ。出で立ちだ。アホか、偽善者め、顔一択だ。いや、むしろ足だ。いや、尻だ。つって、議会は紛糾する。
それぐらいに、この議題は奥が深く、そう易々と全会一致で可決されない。

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といって、全員が「これぞ美人」っていう具体的な人物を掲げ、テーブルに並べてみると、全然バラバラかと言うと、そうでもなく、やはり美人と言われる人は、一様に美人で、様々なタイプはあるにしろ、美人感というか、美人オーラというか、何か共通する美人特有のものを持っている。

じゃあ、その美人が共通して持っている特有のものを所有すれば自分も美人化するわけだから、その特有のもの、それ、手っ取り早くアマゾンなりメルカリなりヤフオクで落札しようとすると、そこで不美人感がわっと充満する。

難しいなあ。
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ピエロ(爺さん)

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小学生の頃は、中学生が随分とお兄ちゃんに見えた。
社会人一年目の時も、2,3年先輩がとてつもなく出来る、到底かなわない人に見えた。
ま、実際、小学生から見れば中学生は心も体も成長してるし、何にも知らない新社会人と比べれば先輩社会人の経験は大きい。
が、こうして、いい歳こいてみると、中学生は大抵の場合童貞で、恐るるに足りないし、社会人3年目なんかまだまだひよっこで、新人とあんまり大差ないような気がする。

もっと言えば、今現在の自分は、小学生から、社会人一年目から、どれほどの成長を遂げ、どのような知識や資格を取得し、どのような形で世の中に貢献できるようになったのか、と問われると、遠くの空を眺めることしかできない。

つまり、いつの時代も、諸先輩方と照らし合わせて、未来の自分はある程度時間の経過とともにレベルアップしているだろうと見積もっていたけれど、案外そうでもなく、知識や経験や所有資格のレベルはアップしておらず、なんなら体力低下の分、人間としてのトータル的なレベルはダウン傾向にあり、だうーん。つって、また遠くの空を眺める。

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と言うことは、アレだ。
中年である今の自分は、これからもう少しだけ歳を重ねて老人に達すれば、人生を達観し、煩悩に惑わされることなく、平穏に日々を過ごしていけるに違いないと思っている。
賃子も立たなくなって、いちいち女の裸に一喜一憂するような、サルみたいなことはなくなり、調子付いてもう一杯もう一杯を繰り返すうちに飲み過ぎて大切な人を傷つけるようなこともなくなり、大盛り無料です、のお誘いに抗えず、じゃあ大盛りでと即答し、メタボリック症候群予備軍とか変な軍隊に入隊させられてるようなこともなくなると思っている。

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が、これまでの経験から言えることは、これから日々を重ねて老人になれたとしても、それは、今の自分がただ単純に時間経過の中にいただけで、状況が劇的に好転するようなことはない。
人間は、時間の経過でその価値を高めるのではなく、あくまでもその時間が経過する間、経過させながら、何をしたかが重要で、ただ座布団に座って鼻くそほじりながらNetflixをみて、いっやあー、こう次から次へと新作ドラマをお勧めされちゃあ、こちとら何も手につきやせんぜー、とか言ってる場合じゃない。
老後を充実させるために、充実とまではいかなくとも、出来るだけ穏やかに過ごせるように、今日を生きよう。
まあ、とりあえず、今日はビール飲みながらNetflixを見ることにして、明日から老後の充実のことを考えて生きよう。だうーん。

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ピエロ(小肥り)

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小太りで頭に毛がない。これは、もうモテない。
そう信じて人生を諦めている小太りで頭に毛のない人がいるなら、その人にこいう言おう。
小太りで頭に毛がなくてもモテている人はいる。と。

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さらに、小太りで頭に毛がない部分を前面に出し、武器として、聴衆に対してアッピールし、それがまた歓迎され拍手喝采されている人がいる。
つまり、万人との違い、特徴は、マイナスに作用することももちろんあるが、自分の捉え方次第、周りへの見せ方次第でどうとでもなり、そんなことで人生を諦めている場合ではない。
さあ、立ち上がれ、小太りよ。
さあ、街へ出よう、頭ズルムケのままで。
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ピエロ(涙)

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首回りの襟が、如何にも道化。浮かれている感がえぐい。
そして、シマシマ模様の長袖、さらにその袖のデザインがサーカスっぽい。怪しい、ちょっと怖い、でも、だからこそ見たいと思う。見たい。絶対に見たい。と思う。
で、一番の特徴は、その髪型。先っちょがぐりんてなってるあたりに、尋常じゃない、何かやってくれる感がぱねえ。
ところがどうした。
悲しげな、物憂げな、その表情。
どうしたピエロ、もうすぐ出番だ、元気を出せ。

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ピエロに何が起こったか、気になるところではあるけれど、気にしてもしょうがない。俺は俺の道を進もう。
もう、過ぎたことは忘れよう。今週の失敗はなかったことにし、三連休をエンジョイしよう。

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それにしても、どうしたんだろう、ピエロのやつ。
お腹いたいのかな。
カゼひいちゃったのかな。
この時期に紛らわしく普通の一般的なタイプのカゼ、ひいちゃったのかな。

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ビー玉

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同じ形が連続するとか、左右対称であるとか、同系色であるとか、そういう構造にすると、バランスは保たれ安定感が増す。
だけど、面白みがないとか、もっと冒険した方がいいとか、期待感がないとか、非難される。人の苦労も知らないで好き勝手なことを言う人があらわれる。
じゃあ。つって、同じ形を避けて違う形にし、左右も出来るだけ対称にならないように、左がこうなら右はもっとこう、つって、やって、色も色々多用する。さあ、これで、すげえ面白くなったろう。そうだろう。
ところが、世の中はそう単純ではない。
こんだ、バランスが悪いとか、統一性がないとか、考えて描いてないかなんか言い出す始末で、じゃあどうすりゃいいんだよ、ああ?と言う気持ちになる。
駄菓子菓子。だがしかし。
こうした反応に不貞腐れて、ふて寝したりやけ酒食らったりしていると、もうそれ以上の進歩はない。
実は、一見、矛盾した二つの意見。冒険しろって言ったくせに、冒険したらバランスが悪いっつう意見。これに対応してこそ、そこに挑戦してこそ、やり遂げてこそ、人生は充実する。
つまり、冒険して、冒険しつつ、冒険し過ぎない、冒険を躊躇してるとは感じさせないほどに攻めてるけど、攻め過ぎてはいない。つう、この微妙な線を突き詰めてこそ、突き詰まる。
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ところが、人生には、そうやってあっちにもこっちにもどっち付かずな、中途半端な落とし所ではなく、がつーんと振り切ろうぜ、というべきタイミング、岐路、試練のときがあるから厄介だ。
具体的に言うと、太るとモテないからつって油を抜きにすると、やはり当然パンチが足りない。だからと言って油多めに注文してしまうと、血中コレステロールがアゲアゲになって太ってモテないはもちろん血管が詰まって死ぬ。なので、油の量は中位にすることがバランスのとれた最適な選択だと言える。
だが、人生の岐路では、思っ切り油を多めに注文し、店主に「うちのは普通で、多めですけど、大丈夫ですか?」と念を押されても、「大丈夫っす。ヨユーす」とキッパリと、油を増して、スープを全部飲み干したい。
この、油を増したスープを全部飲み干した状態が、人生の岐路でがつーんと振り切った状態だ。
がつーんと振り切るのは精神と体力を消耗し、寿命が縮むので、人生の岐路に限定した方がよい。

いやいや、オレよ。ちょっと待て。ちょまてよ。もしかしたら、寿命とか気にしてる時点で、がつーんと振り切れてはいないのかもしれない。
毎回、行くたび、マシマシの濃いめの多めで、スープ飲み干してって、それが人生の充実なのかもしれない。
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